贈り物にもできるまでになった有機性ヨードの歴史がスゴイ
有機性ヨードは、大正時代の初期に薬学の大家であった牧野先生が、ヨード不足に苦しむ世界の人を救いたいと開発された成分です。
日本人はヨードを含む海藻をよく食べていたので不足することはありませんでしたが、チベットやモンゴルなどではヨード不足から苦しんでいる人たちがいたのです。
天然ガスの採取の際の副産物として発見された無機性ヨードという、人体に有害な物質から人体に安全な有機性ヨードを造り上げるのは、並大抵の努力ではできない苦労がありました。
牧野先生の功績は今の最新技術をもってしても、成し得ないと言われる偉業です。
輸出が始まる一方で、当時、製造工場のあった阪神地域の富裕層にも密かに愛飲されていました。
活力がみなぎる滋養品だと情報が伝わったからですが、当時、大卒の初任給が12円だった時代に20円もする高価品で、ごくごく一部の人にしか手に入らなかったようです。
その後、工場が移転してからは、会員制として診療所を開設し、人々の健康サポート品として提供されていました。
もっとも、生産量に限りがあり、普及は難しく、いつしか製造中止に追い込まれてしまったのです。
その後、現代になって、医学博士の飯島先生が有機性ヨードによって顕著な効果をもたらした例を幾つも発見して研究され、体の中から元気になる働きがあると解明されました。
飯島博士のご尽力により、広く誰もが安心して飲める健康補助食品としての開発が勧められ、今では贈り物としてプレゼントできるほどの生産量を誇るまでに至ったのです。